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陶磁器デザイナー森正洋の言葉にしびれるが、今の時代に合うものなのか。「森正洋のこどば。デザインの言葉。」を読んで。

森正洋 平型茶碗

先日、お休みの日に、多治見でミュージアム、ギャラリー巡りをしました。その中でいった岐阜県立現代陶芸美術館。僕のお目当ては、「お茶の時間」という展示で、中でもルーシーリーの器に興味がありました。

森正洋 岐阜県現代陶芸美術館

しかし、同時に開催されていた「コレクションxキュレーター 7人の学芸員が紹介するコレクションの魅力」という展示がすごく良かったんですね。

そして、改めて陶磁器デザイナー森正洋さんの平型めし椀をみて、「あぁすごいなぁ」と感じ、ショップで平型めし椀と「森正洋の言葉。デザインの言葉。」という本を買いました。

最近ツイッター(@simplife_plus)で頻繁に森正洋の言葉をツイートしてたのはこういうことだったのです。

無印の食器のデザイナーという程度しか知らなかった

森正洋。

無印の食器シリーズのデザイナーとしか認識していませんでした。無知すぎてすみません。

我が家でもボーンチャイナのコーヒーカップを使ってます。

その程度の認識。

でも今回、改めてほかの森正洋のデザインの器を見て、すごく自然で、すっと暮らしに溶け込みそうなフォルム、そして楽しさを感じさせてくれる柄に一気に魅せられました。

「森正洋の言葉。デザインの言葉。」が、そして、いい。

森正洋 

この本、めちゃいいです。

森正洋さんの言葉と、森さんと一緒に仕事をしてきた人たちのインタビューで構成されていますが、ほんとに森さんの人柄、そして仕事観を感じることができます。

日本がどんどん豊かになっていった時代らしいデザイナーではあるけれども、仕事に対する哲学に学ぶべきところはたくさんあります。

例えば、以下のような言葉は、今日の「モノからコト」の消費の移り変わる流れの中で自分たちはどのようにものづくりと対峙していくべきなのかを考えさせられます。

デザインが商品を飾る衣装のように考えられ、
例えば、着せ替え人形の着物のようにその時々に応じて、
やれ花模様がいいとか、やれ縞模様、
いや色無地だとか着物の変化にばかりうつつを抜かして、
安直に目先の利益ばかり気を取られている間に、
それを作る土壌が弱体化し、
物を作る根本的な考えさえ忘れがちになる。

よく付加価値、付加価値といわれますが、
デザインというのは付加価値ではなくて、
そのもの自身がまず最初に、
「あるかないか」
というところから問わねばなりません。

生活は日々に変化していくので、
本質的には、「物」そのものではなく、
「物のありかた」を考える方向、
角度が最も重要な開発の姿勢ではないか

一方で、

森正洋さんは、そのものが、良いものが少しでも安く多くの人に広がり、そして日常の豊かさが向上するのであれば、手作りであろうと機械生産であろうと構わない。という発言をされています。もちろん、その通りだと思う反面、これは、この当時大量生産社会で、それと同様に大量消費の時代でもあったから言えた言葉でもあるかなと思います。

今、ファーストファッションなどに代表されるように、安い労働力によって大量に生産されたモノは、売れなければ、そのまま大量に破棄されていく現実があります。

時代は、よりパーソナルに、より身の丈に合った生産と消費が求められ、シェアリングエコノミーの台頭やメルカリのようなCtoC市場の拡大の流れになることは間違いないと思います。

その中でどんな仕事をしていくべきか。どんなものづくりをしていくべきか。

常に模索しながら、時代を生きていかなくてはいけない、そんなことをこの本を通して感じました。

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