写真は長男のレゴの力作。
毎日、毎日こういうのをせっせと作っています。
2歳児の弟の作品と比べるとさすがにレベルが高い。左右対称で、バランスいいところに車輪を取り付けていて、羽根の位置や見晴台の位置、ガチョウ船長や車の収納、ニンジン食糧庫などしっかり考えている。
こういうのを黙々と作っている時間は、いわゆるフローといわれる、没頭している状態です。
しかし、先日さらに驚くことが起きました。
大切な作品が壊れてしまった
レゴでたくさん作品を作って部屋のあちこちに点在していますが、上の写真が最近の一番の力作。
それを部屋の片隅に置いていたのですが、子どもたちが遊んでいるときについ弟君がそれに触れてしまい壊れてしまいました。
まぁ、これはよくある話なんですが、さすがに今回のはショックが大きかったようです。
お兄ちゃんはとっさに、駆け寄って元に戻そうとしていました。
ばらばらになったブロック
ああでもない、こうでもないと一生懸命にブロックをあっちつけたりこっちつけたりしながら元の姿に戻そうとします。
でも力作であるがゆえに、どこに何がどうついていたのか本人もはっきりと覚えていません。
そもそも、どんな形をしていたのか、必死に思い出そうとしていました。
僕はその様子を横で見ていました。
あふれだした悔しさ
しかし、突然お兄ちゃんの動きがピタッと止まります。
すると、「うわー」っと泣き出し前に伏せてしまいました。
がんばってこらえていた悔しさ、虚しさがせき止めていたダムが崩壊したようにばーっとあふれ出てきたのです。
さすがに見ていてかわいそうに思え、一緒に直そうと声をかけました。
「父ちゃん、あまりにかっこよかったから写真撮ってたんだよ。それ見ながら直そう」
実はちょうどその日の昼間に、さすがに立派な作品だったので写真を撮っていたのです。
(それが一番最初の写真なんですが。)
写真を見ながら、二人でブロックをもとの姿に戻しました。
子どもの純粋な気持ちを見習いたい
子育てをしていると、時に子どものまっすぐな気持ちに触れることがあります。
じーっと何かを考えていたり、もくもくと何かを作っていたり。そして今回の突然あふれ出す感情。
いろいろなものに揉まれて大人になってくるとそのようなまっすぐな気持ちを素直に表現できなくなってきます。
そういう意味で、すごく尊いし、逆に、自分自身ももっともっと自分の「好き」を追求していかないとなぁ、と思うのでした。