プロフィール

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貴重なお時間を割いてこのページを開いてくださりありがとうございます。

このブログを書いているワダケンジ(@simplife_plus)です。

テーマは「自分らしい暮らしをつくる ”Make , Think , and Share”」

暮らしはもっと心豊かになる。

何かに追われ、何かを気にする日々ではなく、誰かに左右されない自分の暮らし。

要は、やりたいようにやればいい、ってこと。
難しいけど、小さなことから始めれば、少しずつ自分らしさが出てくるのかもしれません。

日々をちょっとスマートに
そんな気持ちで、暮らしをつくること、日ごろ考えていること、を共有させてください。(Make , Think , and Share)

このブログを通して発信していること

大きく2つに分けると

・暮らしをつくること
・考えていること

ですが、さらに細かく分けていくと、

  • 機械や工具などの木工関連ネタ
  • DIYネタ
  • リノベーションネタ
  • 僕の木工作品
  • まちづくりに関すること
  • 子育てに関すること
  • カメラ、写真、またはそれにまつわるツール
  • 旅行

といったところです。

略歴

和田賢治 Kenji Wada Simplife+

和田 賢治 (木工家 / 写真家)

1981年6月27日 岐阜県岐阜市生まれ

16歳で軍事政権下のミャンマーへ1年間単身留学。
2001年 国際協力分野を志し渡米
    オレゴン大学 入学
2003年 イリノイ大学アーバナシャンペーン校工芸美術学部都市計画学科へ編入
2005年 同大学 卒業

2006年 トヨタ自動車入社
2009年 トヨタ自動車退社
    飛騨高山にて木工修行開始

2012年 岐阜県立森林文化アカデミー 講師

使命

岐阜をより魅力あるまち・日本一住みたいまちにしていくこと

流儀

1.地域の資源を使うこと
2.地域の人のためであること
3.上記2つを「ものづくりとまちづくりの掛け算」で地域の価値を高めること

受賞歴

2015年 「アベマキ学校机プロジェクト」にて 第1回ウッドデザイン賞優秀賞(林野庁長官賞)受賞 (岐阜県立森林文化アカデミーとして)

趣味

写真、旅行、作詞作曲、ギター弾き語り

詳しい経歴

人生を変えたミャンマー留学

1997年高校1年生(15歳)の夏から1年間、単身ミャンマーへ人生修行

ホームステイを始めるも、次第にホストファミリーとうまくいかなくなり、異国の地ミャンマーで人生初の一人暮らしを始めました。借りたアパートの部屋中をゴキブリに占拠され、道端で浮浪者にぼこぼこにされ、ビザの延長が認められず国外退去になり、火を噴くエンジンの飛行機に乗り、バンコクの安宿街でゲイに迫られ、それでも日本に帰国できるまでミャンマーとタイを行き来して凌ぐなど、、、、様々な経験を積んだ素晴らしく素敵な1年間でした。

そしてこの1年で「人生なんとでもなる」というその後の考え方のベースとなる教訓を得たわけです。大胆な行動に出れるのも、この時の経験が大きく影響しています。

国際協力に目覚め、アメリカ オレゴン大学へ。その後、イリノイ大学へ編入し都市計画を学ぶ

1年間の海外生活のあと再び高校1年生から再出発し、高校を卒業した2001年、ミャンマーでの経験から国際協力を志し、決めた進路はアメリカ留学

オレゴン大学に入学し、オレゴン州ユージーン市で2年間過ごしました。そのユージーン市から車で2時間、住みたいまち全米No1であるポートランドを訪れるうちに、「まち」と「人の暮らし」がどう関係しているのか、なぜ貧しい町は貧しく、魅力ある街は人を惹きつけるのか非常に気になるようになり、当時国際協力という分野でもさらに突っ込んだ専門領域を模索していたこともあり、ついにまちづくりを学ぶため、イリノイ大学アーバナシャンペーン校の美術工芸学部都市計画学科へ編入することに決めたのです。

引っ越しの際は小さなホンダシビックに荷物を積み込んで、車でアメリカを横断。アメリカの雄大さを身をもって感じだ経験です。

留学ウェブサイトが大人気に!

アメリカでの4年間、留学生生活を発信するウェブサイト(Stthed by Ke-ji)を運営し、日々の留学生活を赤裸々につづっていました。ほぼ毎日こまめにこつこつ書いていた日記やどのクラスを履修して、どんな宿題が出て、テストで何点取って、成績がどうだったかなど、そんなことまで?!というような内容も暴露していました。

そんなウェブサイトは俄然留学生ウェブサイトでトップクラスの知名度で、キャンパスでいきなり声をかけられることも。

留学相談もひっきりなしに届き、しまいには、相談者が行きたい大学の留学担当者に代理で質問してあげたり、とお金も取らずホスピタリティ精神でせっせと対応していました。

トヨタ自動車に入社。そして絶頂へ

2005年イリノイ大学を卒業し、愛国心を数倍にして帰国しました。帰国後、就職活動を始め、無事、日本のトップ企業であるトヨタ自動車に内定をいただくことに。

2006年春、トヨタ自動車に入社しました。入社式では、当時の渡辺社長から辞令を頂戴する新入社員代表にもなり、新入社員研修ではリーダーもやり、とにかくこの時期はノリに乗っていた絶頂期でした。

その後、トヨタ生産方式の神髄である物流の部署に配属になり、アジア諸国の物流改善プロジェクトに従事しました。モーレツにできる上司、先輩たちに囲まれ、半端ないインプット量に対し、なかなかアウトプットできないもどかしい日々を過ごしながらも、バリバリ働けて、海外出張もバンバン行かせてもらえ、充実した日々を送っていました。

ワークライフバランスに悩みうつ病へ

しかし、大きな仕事をする一方でおろそかになっていく日々に暮らしにワークライフバランスを考えはじめました。大学時代から付き合っていた彼女とこの時に結婚をしたわけですが、ほぼ同時期に会社を辞めることを考え出しました。

物流という仕事は表には出てこないものです。自分がやっている仕事は何のためにしているんだろう?と疑問に思ってしまったことをきっかけに、方向性が見えなくなりました。この期間の苦しさは二度と味わいたくないですね。車で出勤し駐車場に停めても、足が動かないんです。車の外に出れなくなる。オフィスでは、とにかく人と関わりたくなくなる。うつ病でした。

大量生産・大量消費のグローバルな世の中に逆行し、地元に戻り、地元で働く。身近な資源を使って、身近な人のために仕事をする。自然と寄り添って暮らす。

そんなことを考えているとき、父親から譲り受けた学習机を見て、木工職人になることを決め、2009年にお世話になったトヨタ自動車を退職し、家具の産地である岐阜県高山に移り木工修行を開始したのです。

充実した木工修行

木工修行は、オークヴィレッジの職人養成機関の森林たくみ塾で2年間学ばせていただきました。高山で過ごした2年間は、それまでの生活が嘘のように楽しく、充実した日々でした。僕は修行という身で、ヨメの扶養家族になるという状態でしたが、夫婦ともどもそんな”普通”の道から外れた暮らしを楽しんでいました。

木工を始めるにあたって決めた3つのこと。
1.地域の資源を使うこと
2.地域の人のためであること
3.上記2つを「ものづくりとまちづくりの掛け算」で地域の価値をたかめること

岐阜県立森林文化アカデミーの教員として

高山での2年間の修行を終え、故郷の岐阜市に戻り独立準備をしていたころ、岐阜県立森林文化アカデミーで木工教員を募集しているというお話をいただき、「自分のこれまでの経験とまちづくりと木工をすべて活かせる職場かもしれない。ここで可能性を探ってみてもいいのかも。」と採用試験に応募。仕事としての木工経験はほぼ”0”だったのにも関わらず合格。

晴れて、2012年より岐阜県立森林文化アカデミーの教員となり、木工技術、商品開発、情報発信などの科目を担当。

また教員研究プロジェクトとして岐阜県美濃加茂市と取り組んだ「アベマキ学校机プロジェクト」が2015年 第1回 ウッドデザイン賞 優秀賞(林野庁長官賞)を受賞。テーマとして掲げてきた「ものづくりとまりづくりの掛け算」が一定の評価を得られた。