プロフィール

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貴重なお時間を割いてこのページを開いてくださりありがとうございます。

Simplife+というブログを書いているワダケンジ(@simplife_plus)です。

簡単なプロフィール

1981年生まれ。2人の男の子の父。木工家。

木工家として仕事をしつつ、「自分でつくりたい」「木をもっと暮らしに取り入れたい」というたくさんの人の欲求にこたえるべく、一般の人でも本格的な木工に取り組める会員制木工シェア工房「ツバキラボ」を運営しています。

趣味:木工、ブログ、写真、作詞作曲、ギター弾き語り

ブログテーマは「自分らしい暮らしをつくる」

このブログは、僕自身が自分らしい暮らしを送っていきたいと思い、2007年から「Simplife+(シンプライフプラス」という名前で始めました。当時は会社勤めの暮らし方で、自分の生き方について非常に悩んでいたころでした。(詳細は下記の詳しい経歴をご覧ください)

当時、もっと自分らしくありたい、もっと人生はシンプルに生きれるはずだ、という思いで始めたブログですが、もう10年以上続けています。

2009年に会社を辞め、木工職人という道を選び、そして今は木とともにある暮らし、木工をより多くの人に伝えるための仕組みづくりを自身の事業やさまざまなプロジェクトを通して実践しています。

暮らしはもっと心豊かになる。

僕自身、会社勤めをしていたころ、無性にDIYにはまりました。ストレスフルな会社員生活の反動で、没頭できる木のものづくりに癒しを求めていたんだと思います。

その後木工を自分の仕事として選択して以降、ほぼすべての暮らしの道具を自分でつくれるようになりました。リビングの家具も子どもの椅子も普段の食事の食器も。そのなかで自ら暮らしの道具をつくることが非常に心の豊かさにつながっているように感じ始めました。

僕自身が感じたその豊かさをより多くの人たちにも感じてもらいたい。

そういう思いで、このブログでは「自分でつくってみたい」という人たちのために、

・気軽にできるテクニック
・様々な工具の使い方
・便利な道具の紹介
・初心者でもできるDIYレベルを超えるためのちょい上テクニック

を紹介しています。

さらに、子育てネタ、趣味である写真についても記事にしています。

共感していただけることがあればうれしいです。

プロフィール

和田賢治 Kenji Wada Simplife+

和田 賢治(木工家)

合同会社椿洞ものづくり研究所 代表 / 会員制木工シェア工房「ツバキラボ」主宰

略歴

1981年6月27日 岐阜県岐阜市生まれ

16歳で軍事政権下のミャンマーへ1年間単身留学。
2001年 国際協力分野を志し渡米
オレゴン大学 入学
2003年 イリノイ大学アーバナシャンペーン校工芸美術学部都市計画学科へ編入
2005年 同大学 卒業

2006年 トヨタ自動車入社
2009年 トヨタ自動車退社
飛騨高山にて木工修行開始

2012年 岐阜県立森林文化アカデミー 講師
2017年 椿洞ものづくり研究所 設立
    一般の人が本格的な木工を楽しめるシェア工房「ツバキラボ」を運営

使命

流儀

僕が木を扱う仕事をするなかで心掛けていることがあります。

  1. 地域の資源を使うこと
  2. 地域の人のためであること
  3. 上記2つを「ものづくりとまちづくりの掛け算」で地域の価値を高めること

以下の文章は、2013年に自身の木工の仕事観をまとめたものです。

~考え~

まちの豊かさは多様性で決まる。

経済的な効率を求める中で、まちは単一化し、歴史、文化、個性が失われ面白みがなくなっていきました。自然界における多様性の重要性は広く認知されていますが、まちにも同じことがいえると思います。まちにある「人」を含めた様々な要素がバラバラでいろんなものがあるから面白い。その”いろいろなもの”を存在させることができる土壌がまちの”サービス”として、”政策”として必要なんだと考えます。

その中で、人々の暮らしを見てみると、大量生産されたものの中で暮らすことは、経済的かもしれませんが、「自分らしい暮らし」や環境的な配慮という観点ではどこか寂しい気もします。自分の生活で使う道具は自分で作る、壊れたら自分で直すという考え方が当たり前の世の中になってほしいと願います。特に、子育て世代の親にはそういう姿を子供たちに見せ、子供がこれから成長し生きていくなかで、その考え方が一つの”生き方の選択肢”として記憶に残るようにしてほしいと思います。

そういう意味では、木で生活の道具を作る木工の役割というのは、非常に大きいのではないかと感じています。しかし、職人・匠の世界と敬遠され、難しく、とっつきにくいという印象を持たれているのも確かです。そんな木工を単なるDIYというレベルではなく、ちゃんとした設備・技術を一般の人たちに開放し、広めることが重要です。

気軽にいける木工所、自分の生活でつかう道具を自分で作れる場所、親がものづくりに没頭している姿を子供たちに見せれる場所、子供たちがより木に親しめる場所。そんな場所が自分の町にあったら。。。。

今一度、まちづくりにおける木工の役割を再認識し、少しでも人々の個性豊かな暮らしを彩り、心豊かな生き方ができるよう木工の敷居を低くし、一般に広めれるように取り組んでいきたいと思っています。

受賞歴

2015年 「アベマキ学校机プロジェクト」にて 第1回ウッドデザイン賞優秀賞(林野庁長官賞)受賞 (岐阜県立森林文化アカデミーとして)

講演実績

これまでの経歴や取り組み実績などから「夢」「仕事」「進路選択」「教育」「木のある暮らし」などさまざまなテーマで講演を依頼されることが多数あります。

2013年~2016年 美濃市立美濃中学校 「働く人から学ぶ」
2013年 岐阜県立岐山高等学校 キャリア講演会
2016年 木づかいフォーラム(岐阜新聞社主催)
2016年 WISE FORUM 2016(株式会社ワイス・ワイス主催)
2017年 夢のたまご塾 飛騨アカデミー 春セミナー 

詳しい経歴

人生を変えたミャンマー留学

1997年高校1年生(15歳)の夏から1年間、単身ミャンマーへ人生修行

ホームステイを始めるも、次第にホストファミリーとうまくいかなくなり、異国の地ミャンマーで人生初の一人暮らしを始めました。借りたアパートの部屋中をゴキブリに占拠され、道端で浮浪者にぼこぼこにされ、ビザの延長が認められず国外退去になり、火を噴くエンジンの飛行機に乗り、バンコクの安宿街でゲイに迫られ、それでも日本に帰国できるまでミャンマーとタイを行き来して凌ぐなど、、、、様々な経験を積んだ素晴らしく素敵な1年間でした。

そしてこの1年で「人生なんとでもなる」というその後の考え方のベースとなる教訓を得たわけです。海外大学への留学や大企業や公務員を辞めるなど大胆な行動に出れるのも、この時の経験が大きく影響しています。

国際協力に目覚め、アメリカ オレゴン大学へ。その後、イリノイ大学へ編入し都市計画を学ぶ

1年間の海外生活のあと再び高校1年生から再出発し、2001年に高校を卒業。ミャンマーでの経験で、先進国と途上国の圧倒的な差感じ、発展途上国のために仕事がしたいと国際協力を志し、決めた進路はアメリカ留学でした。

オレゴン大学に入学し、オレゴン州ユージーン市で2年間過ごしました。そのユージーン市から車で2時間、住みたいまち全米No1であるポートランドを訪れるうちに、「まち」と「人の暮らし」がどう関係しているのか、なぜ貧しい町は貧しく、魅力ある街は人を惹きつけるのか非常に気になるようになりました。当時のポートランドはまだ日本ではそんなに知られていませんでしたが、大自然とコンパクトな都市が共存し、すでにオーガニックな雰囲気が漂う魅力的な街でした。当時国際協力という分野でもさらに突っ込んだ専門領域を模索していたこともあり、ついにまちづくりを学ぶため、イリノイ大学アーバナシャンペーン校の美術工芸学部都市計画学科へ編入することに決めたのです。

引っ越しの際は小さなホンダシビックに荷物を積み込んで、さまざまなナショナルパークを車で巡り、アメリカを横断。アメリカの雄大さを身をもって感じだ経験です。

留学ウェブサイトが大人気に!

アメリカでの4年間、自身の留学生活を発信するウェブサイト(Stthed by Ke-ji)を運営し、日々の留学生活を赤裸々につづっていました。ほぼ毎日こまめにこつこつ書いていた日記やどのクラスを履修して、どんな宿題が出て、テストで何点取って、成績がどうだったかなど、そんなことまで?!というような内容も暴露していました。

そんなウェブサイトは俄然留学生ウェブサイトでトップクラスの知名度で、キャンパスでいきなり声をかけられることも。

留学相談もひっきりなしに届き、しまいには、相談者が行きたい大学の留学担当者に代理で問い合わせたり、お金も取らずホスピタリティ精神でせっせと対応していました。

このSimplife+が10年以上も細々と続けてこれたのも、その前に留学ウェブサイトを運営していた経験があったからです。

トヨタ自動車に入社。そして絶頂へ

2005年イリノイ大学を卒業し、日本への愛国心を数倍にして帰国しました。帰国後、就職活動を始め、無事、日本のトップ企業であるトヨタ自動車に内定をいただくことに。

2006年春、トヨタ自動車に入社しました。入社式では、当時の渡辺社長から辞令を頂戴する新入社員代表にもなり、新入社員研修ではリーダーもやり、とにかくこの時期はノリに乗っていた絶頂期でした。

その後、トヨタ生産方式の神髄である物流の部署に配属になり、アジア諸国の物流改善プロジェクトに従事しました。モーレツにできる上司、先輩たちに囲まれ、半端ないインプット量に対し、なかなかアウトプットできないもどかしい日々を過ごしながらも、バリバリ働けて、海外出張もバンバン行かせてもらえ、充実した日々を送っていました。

ワークライフバランスに悩みうつ病へ

しかし、大きな仕事をする一方でおろそかになっていく日々に暮らしにワークライフバランスを考えはじめました。大学時代から付き合っていた彼女とこの時に結婚をしたわけですが、ほぼ同時期に会社を辞めることを考え出しました。

物流という仕事は表には出てこないものです。自分がやっている仕事は何のためにしているんだろう?と疑問に思ってしまったことをきっかけに、方向性が見えなくなりました。この期間の苦しさは二度と味わいたくないですね。朝、会社の駐車場に車を停めても、外に出れませんでした。オフィスでは、とにかく人との関わりが怖かったのです。うつ病でした。

大量生産・大量消費のグローバルな世の中に逆行し、地元に戻り、地元で働く。身近な資源を使って、身近な人のために仕事をする。自然と寄り添って暮らす。

そんなことを考えているとき、父親から譲り受けた学習机を見て、木工職人になることを決め、2009年にお世話になったトヨタ自動車を退職し、家具の産地である岐阜県高山に移り木工修行を開始したのです。

充実した木工修行

木工修行は、オークヴィレッジの職人養成機関の森林たくみ塾で2年間学ばせていただきました。高山で過ごした2年間は、それまでの生活が嘘のように楽しく、充実した日々でした。僕は修行という身で、ヨメの扶養家族になるという状態でしたが、夫婦ともどもそんな”普通”の道から外れた暮らしを楽しんでいました。

木工を始めるにあたって決めた3つのこと。
1.地域の資源を使うこと
2.地域の人のためであること
3.上記2つを「ものづくりとまちづくりの掛け算」で地域の価値をたかめること

岐阜県立森林文化アカデミーの教員として

高山での2年間の修行を終え、故郷の岐阜市に戻り独立準備をしていたころ、岐阜県立森林文化アカデミーで木工教員を募集しているというお話をいただきました。「自分のこれまでの経験とまちづくりと木工をすべて活かせる職場かもしれない。ここで可能性を探ってみてもいいのかも。」と採用試験にチャレンジしてみました。結果、仕事としての木工経験はほぼ”0”だったのにも関わらずなんと合格。

晴れて、2012年より岐阜県立森林文化アカデミーの教員となり、木工技術全般、商品開発、情報発信などの科目を担当してきました。企業や行政との商品開発も行い、また、岐阜県庁 知事室入り口のカウンターデスクや自治体交流サロンの収納家具などの制作も手掛けました。

さらに、2013年より日本最大の木工家イベントである「木工家ウィークNAGOYA」の実行委員を務めています。

そして、研究プロジェクトとして岐阜県美濃加茂市と取り組んできた「アベマキ学校机プロジェクト」が2015年 第1回 ウッドデザイン賞 優秀賞(林野庁長官賞)を受賞。自身のテーマとして掲げてきた「ものづくりとまりづくりの掛け算」が一定の評価を得られました。

木工を通しての復興支援活動「森から海へのエール」

2011年に発生した東日本大震災は多くの人々の暮らしに対する価値観を変える大災害でした。僕自身、今の時代を生きる人間として東北の人たちに何ができるのか、木を扱う人間として何ができるのかを考え、そして始めたのが、「森から海へのエール」という復興支援プロジェクトでした。岐阜県の木でフォトフレームを作り、その売上げの一部を東北の漁業復興支援活動を行っていたNPO法人へ寄付を続けました。その後学習支援活動をしているNPO法人への寄付も行うようになりました。

また熊本地震発生後は熊本のほうへも寄付を行いました。

この活動は2017年3月まで5年間続け、約120万円を寄付することができました。

「木のものづくりで暮らしを豊かに」椿洞ものづくり研究所を設立。

2017年3月、5年間務めた岐阜県立森林文化アカデミーを退職し、合同会社椿洞ものづくり研究所を設立。木のものづくりをより多くの人が楽しめるように、本格木工ができる会員制木工シェア工房「ツバキラボ」を立ち上げました。
一方で、木を取り入れた商品開発を企業などと共同で行う事業も展開しています。

今後は、さらに人々の暮らし、地域社会の充足、地域資源の活用などをテーマに木工をツールとして活動していきます。