プロフィール

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貴重なお時間を割いてこのページを開いてくださりありがとうございます。

Simplife+というブログを書いているワダケンジ(@simplife_plus)です。

普段は、合同会社ツバキラボという会社を経営しており、木の仕事を中心にさせていただいています。
全国的にみても珍しい本格的な木工ができる会員制シェア工房を運営しています。ほかにも、地域材活用プロジェクトのプロデュース、家具・クラフトの製作、写真撮影(人・もの・空間)など幅広くお仕事をさせていただいています。

経歴については下に詳しく記載していますが、高校時代のミャンマー留学、アメリカの大学への留学、トヨタ自動車に入社、その後木工の世界に入り、県立の学校で木工を教える教員となり、そして起業して、今は会社の経営者といった感じです。

ブログについては、高校3年生の時から20年以上続けています。

これらの経験から、僕が感じていること、考えていること、実践していることなどを記す場所がこの「Simplife+」というブログです。

ブログテーマは「シンプルに自由な生き方を」

このブログは、これまでいろんなネタを扱ってきたので、一見すると雑多なものに見えるかもしれません。

でも一貫してこだわっているのは、シンプルに、自由に生きたいということです。

ブログという言葉すらない時代から留学生活をウェブサイトで発信し続けていた大学時代は、やりたいことに対して自由に取り組んでいました。それとは対照的に、サラリーマンとして生きること自体に疑問があり悶々としていた会社員時代、「もっと自分らしくありたい、もっと人生はシンプルに、でも豊かに生きれるはずだ」という思いで始めたこの「Simplife+」ですが、15年以上続いてきました。

「シンプルに、自由に」というのは、つまり、"自分のやりたいことに対してまっすぐである" ということだと思っています。ですので、このブログでのその時々の思いで、いろいろなことを書いています。

やりたいことにまっすぐに

僕が初めて自身のウェブサイトを作った20数年前。アメリカ留学をひかえていた僕は、サイトのタイトルを「Straight to the Dream!」と名付けていました。やりたいことにまっすぐ向かっていこうと、留学生活をありのままに記録していました。

20年振り返った今、改めてその時の気持ちに戻りたいと思いました。

僕は今、「木工」という木の仕事を軸にしているわけですが、木のものづくりをより多くの人が楽しめる世の中になるといいな、と思い「ツバキラボ」という会社を起業しました。よりレベルの高いDIY環境を提供するために、「木工シェア工房」という事業を行っています。普段買うものを、自身でつくると違った価値観が生まれてきます。消費者としてではなく、暮らし手として、価格以外のものさしで、モノの良し悪しを判断できるようになります。

「シンプルに 自由に」とは、自分で自身の暮らしを築いていけること。仕事のこと、時間の使い方、お金のことなどなど、自分の意志でコントロールできることから精神的な余裕が生まれ、シンプルに、自由に生きることにつながっていくと思っています。

そして今、自分の一番の関心ごとは、「地域の材料を当たり前に地域の人たちが使うことができる仕組みづくり」です。そういった取り組みについても記していこうと思います。

繰り返しになりますが、書くテーマが時にバラバラなので、雑多な感じに見えるかもしれません。ここは、一貫して自分がやりたいことにまっすぐにという思いで記録を残していきたいと思います。

プロフィール

和田賢治 Kenji Wada Simplife+

和田 賢治(木工家・経営者)

合同会社ツバキラボ CEO
- 会員制木工シェア工房「ツバキラボ」主宰

略歴

1981年6月27日 岐阜県岐阜市生まれ

16歳で軍事政権下のミャンマーへ1年間単身留学
2001年 国際協力分野を志し渡米
オレゴン大学 入学
2003年 イリノイ大学アーバナシャンペーン校工芸美術学部都市計画学科へ編入
2005年 同大学 卒業

2006年 トヨタ自動車入社
2009年 トヨタ自動車退社
飛騨高山にて木工修行開始

2012年 岐阜県立森林文化アカデミー 講師
2017年 合同会社椿洞ものづくり研究所 設立
   一般の人が本格的な木工を楽しめるシェア工房「ツバキラボ」を運営
2019年 社名を合同会社ツバキラボへ変更
2021年 「木工旋盤の教科書」出版

使命 ~地域資源を活用し、人々の暮らしを豊かに~

使命

  • より多くの人が「日常にものづくりがある暮らし」をおくれるようにすること
  • 地域の資源を当たり前に使う世の中にすること

流儀

僕が木を扱う仕事をするなかで心掛けていることがあります。

心掛けていること

  1. 地域の資源を使うこと
  2. 地域の人のためであること
  3. 上記2つを「ものづくりとまちづくりの掛け算」で地域の価値を高めること

以下の文章は、2013年に自身の木工の仕事観をまとめたものです。

~考え~

まちの豊かさは多様性で決まる。

経済的な効率を求める中で、まちは単一化し、歴史、文化、個性が失われ面白みがなくなっていきました。自然界における多様性の重要性は広く認知されていますが、まちにも同じことがいえると思います。まちにある「人」を含めた様々な要素がバラバラでいろんなものがあるから面白い。その”いろいろなもの”を存在させることができる土壌がまちの”サービス”として、”政策”として必要なんだと考えます。

その中で、人々の暮らしを見てみると、大量生産されたものの中で暮らすことは、経済的かもしれませんが、「自分らしい暮らし」や環境的な配慮という観点ではどこか寂しい気もします。自分の生活で使う道具は自分で作る、壊れたら自分で直すという考え方が当たり前の世の中になってほしいと願います。特に、子育て世代の親にはそういう姿を子供たちに見せ、子供がこれから成長し生きていくなかで、その考え方が一つの”生き方の選択肢”として記憶に残るようにしてほしいと思います。

そういう意味では、木で生活の道具を作る木工の役割というのは、非常に大きいのではないかと感じています。しかし、職人・匠の世界と敬遠され、難しく、とっつきにくいという印象を持たれているのも確かです。そんな木工を単なるDIYというレベルではなく、ちゃんとした設備・技術を一般の人たちに開放し、広めることが重要です。

気軽にいける木工所、自分の生活でつかう道具を自分で作れる場所、親がものづくりに没頭している姿を子供たちに見せれる場所、子供たちがより木に親しめる場所。そんな場所が自分の町にあったら。。。。

今一度、まちづくりにおける木工の役割を再認識し、少しでも人々の個性豊かな暮らしを彩り、心豊かな生き方ができるよう木工の敷居を低くし、一般に広めれるように取り組んでいきたいと思っています。

受賞歴

2015年 「アベマキ学校机プロジェクト」にて 第1回ウッドデザイン賞優秀賞(林野庁長官賞)
2018年 「アベマキ学校机プロジェクト」にて 第12回キッズデザイン賞特別賞(審査委員長特別賞)
2018年 「morinocoナイフ」にて ウッドデザイン賞2018 受賞
2019年 岐阜商工会議所 わかあゆ賞 受賞
2021年 公益財団法人岐阜県産業経済振興センター 事業可能性評価 A評価企業 認定
2022年 「各務原市キッズスペース」第16回キッズデザイン賞 受賞
2022年 「アベマキ学校机プロジェクト」 第8回ウッドデザイン賞再受賞

詳しい経歴

人生を変えたミャンマー留学

1997年高校1年生(15歳)の夏から1年間、単身ミャンマーへ人生修行

ホームステイを始めるも、次第にホストファミリーとうまくいかなくなり、異国の地ミャンマーで人生初の一人暮らしを始めました。借りたアパートの部屋中をゴキブリに占拠され、道端で浮浪者にぼこぼこにされ、ビザの延長が認められず国外退去になり、火を噴くエンジンの飛行機に乗り、バンコクの安宿街でゲイに迫られ、それでも日本に帰国できるまでミャンマーとタイを行き来して凌ぐなど、、、、様々な経験を積んだ素晴らしく素敵な1年間でした。

そしてこの1年で「人生なんとでもなる」というその後の考え方のベースとなる教訓を得たわけです。海外大学への留学や大企業や公務員を辞めるなど大胆な行動に出れるのも、この時の経験が大きく影響しています。

国際協力に目覚め、アメリカへ。そして都市計画の世界へ

1年間の海外生活のあと再び高校1年生から再出発し、2001年に高校を卒業。ミャンマーでの経験で、先進国と途上国の圧倒的な差感じ、発展途上国のために仕事がしたいと国際協力を志し、決めた進路はアメリカ留学でした。

オレゴン大学に入学し、オレゴン州ユージーン市で2年間過ごしました。そのユージーン市から車で2時間、住みたいまち全米No1であるポートランドを訪れるうちに、「まち」と「人の暮らし」がどう関係しているのか、なぜ貧しい町は貧しく、魅力ある街は人を惹きつけるのか非常に気になるようになりました。当時のポートランドはまだ日本ではそんなに知られていませんでしたが、大自然とコンパクトな都市が共存し、すでにオーガニックな雰囲気が漂う魅力的な街でした。当時国際協力という分野でもさらに突っ込んだ専門領域を模索していたこともあり、ついにまちづくりを学ぶため、イリノイ大学アーバナシャンペーン校の美術工芸学部都市計画学科へ編入することに決めたのです。

引っ越しの際は小さなホンダシビックに荷物を積み込んで、さまざまなナショナルパークを車で巡り、アメリカを横断。アメリカの雄大さを身をもって感じだ経験です。

留学ウェブサイトが大人気に!

アメリカでの4年間、自身の留学生活を発信するウェブサイトを運営し、日々の留学生活を赤裸々につづっていました。ほぼ毎日こまめにこつこつ書いていた日記やどのクラスを履修して、どんな宿題が出て、テストで何点取って、成績がどうだったかなど、そんなことまで?!というような内容も暴露していました。

まだブログやSNSがなかった時代、そんなウェブサイトは俄然留学生ウェブサイトでトップクラスの知名度で、キャンパスでいきなり声をかけられることも。

留学相談もひっきりなしに届き、しまいには、相談者が行きたい大学の留学担当者に代理で問い合わせたり、お金も取らずホスピタリティ精神でせっせと対応していました。

このSimplife+が10年以上も細々と続けてこれたのも、その前に留学ウェブサイトを運営していた経験があったからです。

トヨタ自動車に入社。そして絶頂へ

2005年イリノイ大学を卒業し、日本への愛国心を数倍にして帰国しました。帰国後、就職活動を始め、無事、日本のトップ企業であるトヨタ自動車に内定をいただくことに。

2006年春、トヨタ自動車に入社しました。入社式では、当時の渡辺社長から辞令を頂戴する新入社員代表にもなり、新入社員研修ではリーダーもやり、とにかくこの時期はノリに乗っていた絶頂期でした。

その後、トヨタ生産方式の神髄である物流の部署に配属になり、アジア諸国の物流改善プロジェクトに従事しました。モーレツにできる上司、先輩たちに囲まれ、半端ないインプット量に対し、なかなかアウトプットできないもどかしい日々を過ごしながらも、バリバリ働けて、海外出張もバンバン行かせてもらえ、充実した日々を送っていました。

ワークライフバランスに悩みうつ病へ

しかし、大きな仕事をする一方でおろそかになっていく日々の暮らしにワークライフバランスを考えはじめました。大学時代から付き合っていた彼女とこの時に結婚をしたわけですが、ほぼ同時期に会社を辞めることを考え出しました。

物流という仕事は表には出てこないものです。自分がやっている仕事は何のためにしているんだろう?と疑問に思ってしまったことをきっかけに、方向性が見えなくなりました。この期間の苦しさは二度と味わいたくないですね。朝、会社の駐車場に車を停めても、外に出れませんでした。オフィスでは、とにかく人との関わりが怖かったのです。うつ病でした。

大量生産・大量消費のグローバルな世の中に逆行し、地元に戻り、地元で働く。身近な資源を使って、身近な人のために仕事をする。自然と寄り添って暮らす。

そんなことを考えているとき、父親から譲り受けた学習机を見て、木工職人になることを決め、2009年にお世話になったトヨタ自動車を退職し、家具の産地である岐阜県高山に移り木工修行を開始したのです。

充実した木工修行

木工修行は、オークヴィレッジの職人養成機関の森林たくみ塾で2年間学ばせていただきました。高山で過ごした2年間は、それまでの生活が嘘のように楽しく、充実した日々でした。僕は修行という身で、ヨメの扶養家族になるという状態でしたが、夫婦ともどもそんな”普通”の道から外れた暮らしを楽しんでいました。

木工職人を志し、会社を辞めるところから、森林たくみ塾での入塾から卒塾までの2年間の日々は「家具職人になる」というカテゴリーで当時の日記をまとめています。もし興味がある人はごらんください。

家具職人になる

岐阜県立森林文化アカデミーの教員として

飛騨高山での2年間の修行を終え、故郷の岐阜市に戻り独立準備をしていたころ、岐阜県立森林文化アカデミーで木工教員を募集しているというお話をいただきました。「自分のこれまでの経験とまちづくりと木工をすべて活かせる職場かもしれない。ここで可能性を探ってみてもいいのかも。」と採用試験にチャレンジしてみました。結果、仕事としての木工経験はほぼ”0”だったのにも関わらずなんと合格。

晴れて、2012年より岐阜県立森林文化アカデミーの教員となり、木工技術全般、商品開発、情報発信などの科目を担当してきました。企業や行政との商品開発も行い、また、岐阜県庁 知事室入り口のカウンターデスクや自治体交流サロンの収納家具などの制作も手掛けました。

さらに、2013年より日本最大の木工家イベントである「木工家ウィークNAGOYA」の実行委員を務めています。

そして、研究プロジェクトとして岐阜県美濃加茂市と取り組んできた「アベマキ学校机プロジェクト」が2015年 第1回 ウッドデザイン賞 優秀賞(林野庁長官賞)を受賞。自身のテーマとして掲げてきた「ものづくりとまりづくりの掛け算」が一定の評価を得られました。

木工を通しての復興支援活動「森から海へのエール」

2011年に発生した東日本大震災は多くの人々の暮らしに対する価値観を変える大災害でした。僕自身、今の時代を生きる人間として東北の人たちに何ができるのか、木を扱う人間として何ができるのかを考え、そして始めたのが、「森から海へのエール」という復興支援プロジェクトでした。岐阜県の木でフォトフレームを作り、その売上げの一部を東北の漁業復興支援活動を行っていたNPO法人へ寄付を続けました。その後学習支援活動をしているNPO法人への寄付も行うようになりました。

また熊本地震発生後は熊本へも寄付を行いました。

この活動は2017年3月まで5年間続け、個人的活動ながら約120万円を寄付することができました。

岐阜県美濃加茂市 「アベマキ学校机プロジェクト」

2014年に岐阜県美濃加茂市にて開始した「アベマキ学校机プロジェクト」は、地元に多く自生する”アベマキ”という木を小学校の机の天板として活用するプロジェクト。そして子どもたちの環境教育として、5年生、6年生の時に伐採現場や製材・製造現場を見学し、卒業後に新しく作った天板に取り換えて、新1年生に贈るという循環していくスキームになっています。この仕組みを行政、小学校、森林組合、地元企業、地元の方々の協力を得て毎年実施しています。

このプロジェクトは、2015年にウッドデザイン賞 林野庁長官賞、2018年にキッズデザイン賞審査委員長特別賞を受賞しました。

「木のものづくりで暮らしを豊かに」ツバキラボを設立

2017年3月、5年間務めた岐阜県立森林文化アカデミーを退職し、合同会社椿洞ものづくり研究所(2019年 合同会社ツバキラボへ社名変更)を設立。木のものづくりをより多くの人が楽しめるように、本格木工ができる会員制木工シェア工房「ツバキラボ」を立ち上げました。一般の方対象に木工教室、木工旋盤教室を開催し、工房設備をシェアする仕組みをつくりました。

一方で、地域材活用プロジェクトを行政や企業と共に推進する事業も行っています。

ツバキラボの事業

  1. 会員制木工シェア工房運営
  2. 木製品製造事業(オーダーメイド・OEM)
  3. 木工・木工旋盤ツール販売(EC事業)
  4. 地域材活用コンサルティング

ツバキラボ

この起業で挑戦したかった事、それは経営者になることです。冒頭でも触れましたが、時間を自由にコントロールしながら、世の中に価値を提供し続ける。この両立ができるのは会社を経営する以外にないと思っていたからです。シンプルに、自由な生き方を実践する上で、起業という最適な選択だと思います。

一方で、4人の従業員がおり、同じ夢を見て、同じゴールを目指して、苦楽を共にする家族のような存在ですが、その人たちやその家族の人生を預かっている立場でもあります。責任はとても大きいわけですが、なによりもみなで挑戦し続けること、それを止めないことが大事だと感じています。

まだまだ人生における挑戦はたくさんあります。これらのすべての経験をブログで発信していきたいと思います。

2014年1月29日

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