家具職人になる 生き方

ミャンマー留学、アメリカ留学、トヨタ自動車を経験して思う「日本の未来と教育」

2009年4月30日

僕は16歳でミャンマーで一人暮らししてた時から、日本という国を考えてきました。
今日は最近感じる日本の限界と教育のあるべき姿を
なるべく簡単に書いてみたいと思います。
(でも、たぶん長くなります。。。。)

 

平均値を求める日本の教育


まず、このままの状態が続けば日本は確実に世界から孤立します。
モノをたくさん造って、売って、買って、消費してという時代はたしかに日本の国力を押し上げました。高度経済成長期がまさにその時代で、戦後のモノがない時代のあと、自らモノを作り出すことによって生活レベルを底上げし、モノにあふれることが豊かさだという価値観に変わってきました。

その社会構造の中では、逸脱した人材というものは必要なく、大量生産大量消費に見合う、誰もが同じ、平均的な能力が求められました。よって、今のような教育カリキュラムが組まれたのだと思います。いろんなことを覚えて、テストに合格して、いい大学を出て、いい会社に入る。そういったレールが自然と生み出されました。これはみんなと同じことをしていればよかった時代です。

しかし、時代は確実に変わりました。
情報社会です。

この社会の中では、いかに物事を考え、いかに行動に移すかが求められます。それを実行できる人間は、この情報社会では急速に成長します。事業を起こせば、たちまちモンスター企業となります。では、日本にそのようなモンスター企業は、と見渡しても正直言って見当たりません。この違いはなんだと突き詰めて考えると、僕は、その原因は教育にあると思います。日本の教育は上でも書いたように、平均的な人材を作るためのものです。飛び出る杭は打たれるかもしれないし、ほっとかれるかもしれません。そんなことはどうでもよくて、重要なのは落ちこぼれを作らないことです。そこに重点が置かれているため、低いレベルを基準としたカリキュラムです。

今振り返っても、何を勉強してきたのだろう?って思うことが多々あります。数学の公式をひたすら暗記したり、英語の文法を必死で覚えたり、歴史の年号と人物名、地名など暗記したり。僕らが社会に出て生き抜いていくための知識ですか?

 

自分で考える力が求められる。


日本の教育で一番欠けているのは、考えさせることです。
「なぜ?」と疑問を持たせ、その答えを追及させることです。
それが一番重要だと思います。

「ここは受験には関係ないから、飛ばします。」そんな教育は教育ではありません。必死で覚えた微分積分の公式は、社会人となって何につかうの?日本語だって文法間違いながらみんな話してるのに、英語は少し間違うだけで先生に注意されまくり、話せるようになるわけがない。いい国作ろう鎌倉幕府、、、、、だから何?子供たちが、なんでだろう?といろいろ質問できる環境であれば、子どもたちはどんどん考えるようになって、自らの判断で物事を見極める力が付きます。

竹中平蔵さんはあるイベントで、若者たちに向かって「誰も雇ってくれないと嘆くなら、100円で起業して社長になればいい」とおっしゃっていました。その発言自体は正しいんだけど、今の若者たちがそうですか、と起業できるわけがありません。今の教育を受けてきた若者が、大学はいるために勉強してきた若者が、こぞって自ら起業するとは到底思えません。

 

流行にすがる日本。教育を変えるのは難しい


教育は国の力を大きく動かします。だったら、教育の内容を変えればいいんです。でも、言葉で言うのは簡単ですが、実際むずかしいと思います。

それはなぜか。

日本の国自体(政治や官僚の方々)が日本の行方を見失っているからだと思います。何をやるにも目的があります。それは教育にも言えます。この先、どんな人材が必要なのか?どんな国にしていきたいのか?そういう目的をなくして、教育なんてありえません。ついこないだインド式算数が話題になりました。先日本屋では、フィンランド式教育という本がずらりと並んでいました。なんで日本はいつもこうなんでしょう?馬鹿らしく思います。どこの国がどうやっていようが、それはその国だから成功する話で、日本で同じことやっても成功するとは限りません。

 

日本の未来を見据えて、今なにを教育に盛り込むか


まず日本は、何を求めているのか、何を教えなければいけないのか、そこを明確にしてから、ではどうやって学ばせるか、という議論をすべきです。幼稚園やかろうじて小学校までは、自分の夢を大きな声で言えます。中学になると途端に声に出せなくなります。高校では大学に受かることや就職することが目的となります。本来は、飛び出る杭をもっと飛び出させるようにしていかないと。大学に入るのも、就職するのも、起業するのも、放浪するのも、すべては生き方の一つでしかありません。

どれがいいかは自分が決めることです。その決断するためには、物事を自分なりに判断する力が必要です。それを身につけるには、どの教科でも「なんでだろう?」と問いかけをして、本質を正しく知り、判断する訓練が必要です。そういったことができれば、日本は活気づくと思います。

そして、その時には、価値観は大きく変わっていると思います。

GDPや所得やモノではなく、
もっとほかのところに豊かさのバロメーター持つことになるのではないでしょうか?

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