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こんにちは。相撲が大好きなワダケンジ(@simplife_plus)です。
一瞬できまる勝負事のなかに、すごく奥深いものを感じることができるのはほかのスポーツではなかなかありません。
その大相撲、現在は日本人の横綱はいません。1998年に若乃花(お兄ちゃん)が横綱になったのが、日本人の最後の横綱であり、20年近く日本人の横綱昇進はありません。僕が好んで相撲を見るようになったのは貴乃花はすでに引退し、朝青龍の時代だったので、日本人横綱の姿みてないんですね。そのため、角界のみならず一般的にも日本人横綱の誕生を待ちわびているわけです。
(*2017-01-28 追記 平成29年初場所にて14勝1敗で優勝した稀勢の里が、昨年の安定した成績と合わせて、横綱昇進を確実とし、第72代横綱になりました。)
でもそもそも横綱ってどんな立場なんでしょう?
特にここ10年はモンゴル出身力士がとても強い。その先駆けとなった朝青龍は常に「品格」を問われ続けました。そして数々の記録を塗り替えてきている白鵬ですら「品格」という言葉を持ち出して責められることがあります。なぜ横綱はそんなに「品格」を求められるのでしょうか?
「品格」に悩んだ朝青龍と「品格」を説いたNHKアナウンサー刈屋富士雄さん
先日(平成29年初場所7日目)、NHKの相撲中継の中で、横綱の品格についてアナウンサーや解説員が話を展開しているときに、あるエピソードが紹介されました。それは横綱の品格を問われ続けたあの朝青龍がまさに「品格」とはなにか、で最後まで悩んでいたということでした。
それはNHKのベテランアナウンサーであり解説員でもある刈屋富士雄さんによって紹介されたものですが、朝青龍は刈屋さんに何度も「品格」とは何かを問い続けていたそうです。そして、その時の刈屋さんの答えも紹介されたのですが、これがなかなか深いものでした。
・人よりも自分に厳しいこと
・人よりも努力をすること
・そして、人に対して優しくあること
そういう日々を送ることで身につくもの
この回答に対して朝青龍が言ったことも深いものがあります。
それよりも勝つことのほうが大事なんじゃないか
そもそも刈屋さんの答えは明確に「品格」とはなにかを説明する言葉ではなく、横綱とはこうあるべき、というもので、その結果、「品格」が身につく、と説いています。圧倒的な強さを誇った朝青龍は最後まで「勝つ」ことにこだわり続けたわけです。
横綱の強さは当たり前であり、それと併せてその品を求められるのは横綱がどういう立場なのかを見てみると少しわかるようです。
そもそも横綱とはどんな存在なのか
横綱ってそもそもどんな存在なのか。
調べてみようと思ったのですが、一番正式な文言を求めて訪ねた日本相撲協会のウェブサイトにはその説明はありませんでした。。。(そもそも的なことは大元である日本相撲協会がしっかりまとめて公開しておくべきだと思うんですけどね。。。)
なので、Wikipediaに掲載されている文章を借りてきました。
横綱(よこづな)は、大相撲の力士の格付け(番付)における最高位の称号である。語源的には、横綱だけが腰に締めることを許されている白麻製の綱の名称に由来する。現行制度では横綱に降格はなく、現役引退によってのみその地位から降りる。従って、横綱になる力士はその地位にふさわしい品格と抜群の力量を要求される。
現在の大相撲においては、横綱は、全ての力士を代表する存在であると同時に、神の依り代であることの証とされている。それ故、横綱土俵入りは、病気・故障等の場合を除き、現役横綱の義務である。
横綱は、降格というのがありません。成績が振るわなくても引退するまで横綱でいられるわけです。その一方で、横綱は横綱としての果たす責任があるようです。
とはいっても、「品格」「力量」が求められるので、どちらかが劣ってしまえば、自然と引退となっていくんだろうと、過去の横綱を見ていても、そう思います。
横綱昇進には「品格」が条件?!
横綱への昇進の条件は次のようなものです。
「大関の地位で2場所連続優勝、またはそれに準ずる成績を挙げた力士」
そこには、「品格」という言葉はありません。大関となるだけでも勝ち続けなければいけませんが、それ以上に連続2回優勝が最低条件です。
しかし、これは、あくまでも最低条件であり、2回優勝すればよい、それに準じた成績をあげればよいというわけではなく、その成績を収めたものが「横綱にふさわしいか」というのが横綱審議委員会というところで審議され、横綱に推薦するかどうかを決めるようです。その横綱審議委員会の横綱推薦の規定の第1項が
「横綱に推薦する力士は、品格、力量が抜群であること。」
なんですね。
ここで「品格」が出てきました。しかも「力量」という言葉よりも先に「品格」があります。
日本相撲協会ではその「品格」を次のように定めています。(あ、ちなみにこれもWikipediaです。)
一、 相撲に精進する気迫
二、 地位に対する責任感
三、 社会に対する責任感
四、 常識ある生活態度
五、 その他横綱として求められる事項
要するにまじめに相撲に取り組んで、日常生活も正しくしていればよいということですね。
日本特有の精神論で語られる「品格」
一時期「品格」という言葉がはやったこともありましたよね。いろんな本も出ていました。
相撲界でいう「横綱の品格」に迫っていこうと思っているのですが、なかなか答えが出ません。こういう話は、どうしても「精神論」的なところに行ってしまうからです。相撲は神道に通じているから、とか横綱は「神の依り代」とか、日本らしいですよね。それ故の、横綱の品格なんです。
そういうところがいちファンとして好きなところでもあるわけですが、これだけ外国人力士が増えてきて来ると、通じない部分は必ず出てきますよね。
神聖なもの以前に「スポーツ」であるわけですし。勝ち負けにこだわって当たり前なのも事実です。
極端なエンターテイメントにはしないでほしい
僕は横綱に対して、厳格な品格を求める風潮は時代とともに変わっていくだろうと思います。今モンゴル出身力士が勢力をなしていて、一人一人に品格品格と問い続けても、あまり意味がないような。過去の日本人力士にも問題があった力士もいたようですし。理想を求めることと現実的にそれを厳しく問うことはなんとなく違うように感じます。
横綱には、オーラが欲しい。「品格」とまではいわないけれど、圧倒的な存在感である「オーラ」が。
「やっぱり横綱だ、オーラが違う!」そんな気持ちにさせてほしいですね。実際、生で近くで白鵬や鶴竜を見ると、やはりほかの力士とは違うオーラを感じます。
一方で、スポーツではあるけれども、そしてファンとともに成長していくものだと思うけれども、「エンターテイメント」のようにはしてほしくない、というのが僕の思いです。
ねこだましは面白いけれども、横綱には、真っ向勝負をしてほしい。下の力士が真剣に勝負を挑もうとしているのだから、それをあざ笑うかのような勝負よりも、真に受けてほしい。それは刈屋富士雄さんの「人に対して優しいこと」の「優しさ」に通じるところじゃないでしょうか。
でも、一方で、負けた時はよく白鵬はじめ横綱たちは「負けは負けです。」「こんな日もあります」と答えます。こういう潔く負けを認めるところは好きですね。