2月19日、岐阜県立森林文化アカデミーの課題研究公表会(俗にいう、卒業研究の発表会)に行ってきました。かつての僕の職場ですが、今回発表する学生たちが僕の最後の入学時から関わった人たちでもあるので、僕が去ってから1年間、どのような課題を取り上げどのようにアプローチして、どうまとめたのか、非常に楽しみでした。
そして、結果的には、非常に多様性に富んだ内容で、かつレベルが高いものも多く、僕自身とても励まされました。
どんな研究テーマがあったのかについては、川尻副学長がアカデミーブログに掲載していますので興味がある人はご覧ください。
さて、毎年この発表会では、涌井史郎学長は「実に多様性に富んでいる」とコメントします。一方で、涌井学長は「実学」の重要性も必ず同時に説きます。つまり、その多様性、個々の着眼点が活きる時代なわけですが、いかにその個の感性や感覚、問題意識を現実社会に適応させていくのかが大事なわけです。
僕自身、まさに今は多様性の時代だな、と思うのですが、実学と絡めて、改めて考えを書いてみたいと思います。
一つの可能性を信じて始めてみた
僕は2017年3月に岐阜県立森林文化アカデミーを退職し、ツバキラボという会員制木工シェア工房を始めました。アカデミーで教員として様々な人々に出合うことができ、そして様々な価値観、感性に触れることができました。そんな中、ものづくりの環境やスキルの敷居が低くなり、人々が持っている感性をもっと気軽に表現できるようになれば、より世の中は多様性が豊かになるんじゃないかと、思っていました。
それは、学校というなかではなかなか実現できず、誰かやらないかなぁと他力本願で待っていてもそんな人は現れず、結局自分で始めたわけです。単発のワークショップなどではなく、人々の暮らしとものづくりの関係性や距離感を変えることで何が起こるか、という社会実験が今のツバキラボなわけです。
このように、一つの可能性を信じて実際に実社会のなかで試してみる、ということが大事なんだと思います。
ツバキラボが支持されなければ、自分の経営能力が足りなかったか、時代に合わなかったかのどちらかの結論になるわけですが、多様性の時代に対しての答えのようなものを得るためにまずはそれをやってみるという一歩を踏み出しました。
今回発表した学生たちは、学生という身でできる最大限のことをまとめ発表したと思いますので、それぞれの発表にそれぞれが感じた可能性があるわけですから、ぜひ卒業後もそこを探求していってほしいと思います。たとえ失敗したとしても、今は失敗がアドバンテージとして活かせる時代です。
多様性が活きる時代
そもそも、多様性は画一性の対義語ですが、昭和はまさしく画一性に富んだ時代だったんだと思います。先日、僕が実行委員を務める「木工家ウィークNAGOYA」の打ち合わせで、大阪の木工家 賀來寿史氏がこんな発言をしました。
大量生産から外れた時点で多様性が始まっている
これはすごく的を得た表現です。大量生産大量消費の世の中が画一性に富むというのであれば、そこを外れた時点で多様性が始まっているのは当たり前なんですよね。当たり前なんだけど、はっとさせられたわけです。
これは、僕が「70年代80年代に木工を志す人がたくさん現れたのは時代の必然性」という発言に対しての賀來さんのコメントだったのですが、その会話の流れから考えるに、多様性というものはいつの時代もかならず存在していて、それが活きる時代かそうじゃないかだけのことなんですね。
今は多様性が活きる時代であり、むしろこれからは特に、個がなければ息苦しさを感じる時代だと思います。(今までとは逆)
職業を選ぶ時代ではなく、生き方を選ぶ時代
サラリーマンとして勤めていれば幸せ安泰という考えが古いと思う人は今は多いと思います。それは間違いないですが、サラリーマンが悪いというわけではありません。会社に属していれば、個人では持てないような資本力があり、その力を利用して自身の強みを生かし、大きなことができる可能性があるからです。それを十分発揮できているのが無敵サラリーマンというやつでしょう。独立とは会社を立ち上げることではなく、「個」として戦えていることを表しているわけですね。下はLINEの上級執行役員田端信太郎氏のツイッター。
ここでいう独立とは、自分の会社設立なのでしょうが。自分の会社作って、債務に個人保証したりしつつ、大手企業の下請け依存でやってるのと、FA化した無敵サラリーマンとどっちが自由なんだろ? いずれにせよ、社会人としては「独立」してんじゃないの? https://t.co/64wS7281bF
— 田端 信太郎 (@tabbata) 2018年2月14日
こういう流れの中で、仕事を、職業としてみるか、生き方としてみるかで得られるものは大きく違うと思います。西野亮廣氏の著書「革命のファンファーレ」の中にこんな一文があります。
「芸人」は職業ではなくて、生き方の名称
このとらえ方、とても大事なことだと思います。現に、西野さんはいわゆる「芸人」の枠を超えた大きなものを得ています。
くしくも、僕も以前、「木工家は生き方だ」とブログに書きました。(西野さんの本が出る前なので、まねではないですよ)
このブログのエントリーには様々な反響があったわけですが、この中で言っているのが、自分で選択した生き方でいかにビジネスとして成り立たせるか、一つの生き方の挑戦ができるかが大事だということ。つまり、生き方として選んだものを「実学」として現実的に実践する。それは、往来のやり方ではなく、感性に基づき、時代に即した挑戦をすべきなんだと思います。
さらに、先日の森林文化アカデミーの公表会にて涌井史郎学長がある学生の発表に対して、こんな発言をしました。
技術革新の上に創造性が発揮される。創造性だけではダメ
そのためには、あらゆる固定観念を取り払って、物事を正しく見なければいけない。その方法として、最先端のテクノロジーにも積極的に触れ、最先端の生き方をする人たちの言葉に触れ、考えを聞くことで時代を正しく読み、一方で読み継がれる古典や名作といわれる作品にも触れることで人としての在り様を正す、ということをやっていかなければいけないですよね。
副業で輝く時代
世の中働き方改革が叫ばれていますが、残業時間をどう減らすだとか、そんな議論をしてる限り働き方なんて変わらないと思います。時間忘れて没頭できることがあることは幸せですよ。もちろん、強要されれば苦痛でしかないですが。実際いま、残業なくなって早く会社を出ることになっても家に帰らずカラオケやゲーセンで過ごす社会人がいるっていう情けない現実があるのが日本です。テレ東の未来世紀ジパングでヒュッゲが特集されていましたが、海外の概念を持ってきても流行りになるだけです。
落合陽一氏は日本再興戦略の中で、これからは百姓の時代と言っています。農業という意味ではなく、百の生業という意味で、百やるかどうかは別として、あらゆることをこなすことが大事になってくる時代です。
いろんなことを学んで、それを副業として活かしていけば、どんどん掛け算で個人の力が増していきます。個々人が個性をいかんなく発揮できるようになれば、よりアイデアの掛け算が増え、世の中豊かになっていくでしょう。画一性よりもより自然な社会の在り方だと思います。
ってことを書いていたら、最新の週刊東洋経済もLIFE SHIFT「学び直し」特集でした。
ものづくりのスキルを付けるっていうのも、一つの選択肢であってもいいのではないかと思います。現に、木工を学べるツバキラボでは50代の方がやはり多い。この先を見据えての選択、人生100年時代の中の一つの時期をモノづくりに捧げてもいいかもしれないですね。僕は、ある適度のスキルがついてきたら作ったものをどんどん売っていけばいいと思ってますし、ツバキラボの会員さんにもそう勧めていきたいと思っています。まさにそれが可能な時代なわけですから、普段の勤めとは違う別の角度の自分を持つことの意味をいろんな人に体現していってもらいたいです。
やりたいことをとことんやる時代!
多様性の時代とは、個々の感性や興味に従ってやりたいことをとことんやる時代です。そして今はそれができるさまざまなサービスがあり、そしてこうであるべき論が少しずつ崩れ、人々のマインドも多様な生き方を受け入れれるように変化しています。
今回、岐阜県立森林文化アカデミーの課題研究公表会を聞いて、改めて感じだ多様性。そして学生の彼らが得たものを、これからどのように社会に出していくのかとても楽しみです。僕自身も、木工家という生き方で、自分の感性をそのまま大事に、好きなものを好きだと言いながらいろいろやっていきたいと思います。