こんにちは。ワダケンジです。
ツバキラボという木工シェア工房を立ち上げたわけですが、おかげさまで多くの人に興味・関心を持っていただき、なんとかいいスタートを切ることができました。(といってもこれからが本番なんですけどね!)
よく「今一番忙しい時ですよね」といわれますが、実はそんなことはなく、穏やかに仕事させてもらっています。今は、ある施設の木製家具を製作していて、シェア工房として本格的に運用が開始するのはもう2,3週間先といったかんじです。
さて、今回ツバキラボを立ち上げる際、新聞社などいくつかの取材を受けました。そのインタビューの中でよく聞かれるのが僕の経歴についてです。興味を持っていただけるのはすごくありがたいことです。
これまでの僕の経歴をたどっていくと、意外と面白い人生観が見えてくる。
今日はそんなお話です。
いい意味での脱線「ミャンマー留学」
僕は15歳の高校1年生の夏からミャンマーに1年間行くことになりました。
これは親の教育方針の一つとして、高校生の時に海外(しかも途上国)を経験し、国際的な視野をもつために実施されたものだと認識しています。当時の僕は「海外に行ける、わーい」的なノリでしたが、後々にこの経験が非常に今の人生観、思想に影響を与えたな、と感じるようになります。
いろんなものを客観視できるようになったのもこの1年間の経験からですし、一般的な「通常」というものも僕から見れば「異常」に思うようになったのもこの経験からです。
「異常」の世界を通常として暮らすと、通常の異常さが見えてくる。
そんな感じでしょうか。
15歳の時に、ミャンマーに行き、レールから脱線したことは、あらゆる可能性、選択肢を得ることができたとても大きな経験でした。
一貫した考え「自分らしく生きること」
というわけで、初対面の人との会話やインタビューなんかではたいてい同じような質問をされるわけです。
「なんでミャンマーいったんですか?しかも15歳で?」
「なんでアメリカの大学いったんですか?」
「なぜトヨタを辞めたんですか?」
「そしてなぜ木工なんですか?」
「「なぜツバキラボを立ち上げたんですか?」
ひとつひとつみると突拍子もないように見えますが、順を追って説明するとそういうことね、と納得してもらえます。
ある記者さんからは「哲学をすごく大事にしているんですね」といわれました。
そんなこと意識もしたことなかったけど、言われてみると、そういうことかもしれないですね。
大事なものが芯にあり、それに沿わないものがあるとやはり違うと感じてします。そして、自身の信じるものに従うように考え行動してしまいます。それが哲学と言えば哲学ですね。
「自分らしく生きること」
自分を犠牲にしない生き方をしたい、ということです。
人生の中の選択
人が生きる人生は「選択」の連続です。
そしてその選択に対して「なぜ」は常に自分の中にあります。ここを自分以外のせいにすることは結局本当の自分に背を向けているだけです。
必ず、やっぱりこうだ、という思いは誰でもあります。
その思いに背くとき、世間体や過去の経験に縛られてることが多いわけです。
そんなもの自分の芯にある思いに比べたら、本当は小さなものなんでしょう。
でも多くの人には世間体や過去の経験がとてつもなく大きなものに感じてしまう。
そのことだけでも知ることができれば、どれだけ楽になるか。
選択肢を知るということ
僕は、7,8年前からよく「選択肢」という言葉を使います。この選択肢を多く知ることが人生よりよく生きるうえでとても重要だと思っています。
A,B,Cという選択肢がある中で、
Aしか知らないためにAを選ぶのと、
A,B,Cを知ったうえで、Aを選ぶのではまったく意味が異なります。
選択肢を多く知ることは他との違いを知り、他に対する優位性を知り、そして、それを自身で選択するということです。そういう選択をする中で自分自身の感性や思考をよりブラッシュアップしていくことができます。
逆に言うと選択肢をしらないことは、感性を鈍くし、思考を留めることになりかねません。
より多くの情報を得て、より多くの生の体験をしている人ほど、より的確な選択ができるんだと思います。
人生のリセットは必要
実は、僕は同じ場所に一番長くいたのは、小学校の6年間なんです。中学校からは、大抵2~3年で場所を変えてきました。高校を出てアメリカにわたりオレゴン大学に入学しましたが、2年経ったらイリノイ大学アーバナシャンペーン校に編入しました。トヨタも3年。高山での木工修行も2年。
今回3月末まで務めていた岐阜県立森林文化アカデミーは初めて5年間という長期にわたって在席していました。それはそれだけ居心地が良く仕事も楽しかったからです。それでも小学校の6年を抜くことはできませんでした。
これは、常に自分らしくあるためにどこで何をすべきなのかを柔軟に考えているからです。僕はこの数年単位で人生をリセットして、その時その時の「こうありたい」という思いを大事にしてきました。その時々に感じていることを大事にして、それに基づいて行動してきたわけです。
同じ場所で同じことを同じメンバーで延々と過ごすことは、自身の世界をものすごく偏らせてしまいます。
あるタイミングで、別の立ち位置を取り、新たな人たちと新しいことを始めるとまた違う価値観を知ることができます。意外とそういうのって楽しいですよね。
ただ、僕自身、昔と違って家族(特に子ども)がいるわけですから、昔ほどぽんぽんと移り変わることはできなくなりました。しかし、だからこそ人生のリセットするときはすべての身を投じてがむしゃらにならないと、という感じでやる気がわいてきます。
まとめ
なんか収拾つかなくなってきたので、この辺りで無理やり終わらせましょう(笑)
新しく立ち上げた事業がうまくいくのか、どうなのかまだまだ分かりませんが、僕にとっては重要な人生のリセットなわけです。とにかく必死で頑張りたいと思います。
みなさんも、人生のリセット、必要だなぁと思っていたら、思い切ってやってみるといいと思いますよ。(って軽く言うなって話ですね。)
一応、タイトルが「人生のリセットが必要なワケ」となっているので、ワケを書くと
「自分らしく生きるため」ということになります。