ミャンマー

【ミャンマー 観光 1】凄まじいヤンゴンの発展ぶりの中に17年前の僕がいた痕跡を探した1日~その1

2014年12月26日

Myanmar Yangon Shin Saw Pu Rd. かご売り

12月24日、クアラルンプールを経由して僕はミャンマー最大都市ヤンゴンに降り立ちました。到着予定時刻8:00AMとなってますが、ぴったし8:00AMに飛行機のタイヤが滑走路に触れた時、なんだかとても仕組まれているような、そんな気持ちになりました。

17年ぶりのミャンマー。

当時はボーディングブリッジもなく飛行機から降りて、自分の足で空港建物まで歩いていかなければならないほど設備が乏しく、またその空港もこじんまりとした建物で、他の国にあるような国としての威勢を張っているような豪華で立派な建物ではありませんでした。

Myanmar Yangon  International Airport

それが、今ではボーディングブリッジはもちろん空港建物も今どきの近代的なものに変わっていました。そんな中でも他のアジアの国とはまた違う、ミャンマー独特の空気、においがあり、「あ~これこれ」とつい心の中でつぶやきました。

入国審査を終え、荷物を取り、まずはアメリカドルからミャンマーチャットに両替しました。$1=1033kyat。日本円が多少安いので正確には言えませんが、だいたいミャンマーの価格から0を一つとると日本円に換算できます。とりあえず、$200を両替し、20万チャットほどになりました。急にお金持ちになった気分です。

荷物検査を通り、ついに外に出ました。年の暮れだからか、朝早い便だったからか、空港は予想していたほど人々の熱気はありませんでした。途上国特有のダーッと人が押し寄せてくるの期待してたのですが、わーわーうるさいのだけれど、どこか然としていてちょっと拍子抜けした感覚に襲われました。




 

学校へ行ってみよう


予定は決めてませんでした。その夜、夜行バスでバガンに向かうということだけ決まっていたので、その時刻までは自由です。その時その時の思いに任せてふらふらしてみようか、と考えていました。空港の待合所のベンチに腰掛け、ふぅ、と息をついて周りを見渡します。きれいになった空港の建物。ロンジーという民族衣装をまとう人々。タナカというお化粧を塗った女性。手にしたスマートフォンに向かって指先を行ったり来たりさせています。変わったものと変わらないものが混在しています。そこで、ふと、通っていた学校に行きたくなりました。

タクシーには困りません。一歩建物を出れば自然と向うから「どこへ行くんだ」と話しかけてきます。Shin Saw Pu Rd.だと告げると、両手で15としました。$15だと?外国人だからと完全になめられています。6000チャットだ、と言い返すと、ありえない、街中はどこも渋滞でそこまで行くのに1時間かかるんだぞ!と反論してきました。以前は空港から街中まで2000チャットもあれば余裕でいけました。時間もかっとばして30分ほど。物価も所要時間も変わってるんだな、と思いながら交渉を続け、7000チャットでお願いすることにしました。

町に出ると、すぐその変化に気づきました。空港近くは何もなかったのに、今では大きな建物が並び、さらには高層ビルが建設中でした。そして道を行きかう車は日本でも普通にみるようなきれいな車がたくさん走っています。前はボロンボロンの今でも壊れそうな車が多かったタクシーはたいていProboxかSucceedのようです。そして確かに交通量が多い。

Myanmar Yangon Pyay Rd.

地図を見ながら、当時の記憶を思い出そうと、フル回転で頭の中を回します。だんだんとよみがえってくる当時の情景。あぁ、この道があそこにつながっているよな、あそこに行くにはこの道だっけな、なんてことを思いながら窓の外を流れる風景を眺めます。ふと、ドライバーが意図していなかった方向に曲がりました。「Shin Saw Pu Rd.だよ?大丈夫?」と聞くと、わかってるわかってる、と言って、今あの道は高架道路工事で大渋滞なんだ、こうやって回り道したほうが早いんだ、と空港とダウンタウンをつなぐ幹線道路の一つであるPyay Rd.が大工事中であることを説明してくれました。

その回り道で通った路地の中に、幹線道路からはわからないミャンマー人の普通の暮らしがありました。汚いアパートの1階がお店になっていたり、作業場になっていたり。路上喫茶でお茶をすすり談笑する人たち。ぼこぼこでものが散乱してとても歩けない歩道や少しでもうまいもんが落ちていないかと食べ物をあさる痩せこけた野良犬。頭の上に荷物を載せて歩く女性。車が通れば砂埃が舞い、白っぽくうつります。僕が知っているミャンマーは大きく発展しようとしているこのヤンゴンでもまだ健在でした。

正確な位置は覚えていないので、だいたいこのあたりだろう、というところで下してもらいました。Shin Saw Pu Rd.。以前より拡張されたような気がします。さぁ、どこかな、とワクワクした気持ちで歩き出します。外国人旅行者が普通来ない場所で、登山用の大きなバックパックを背負い、カメラとレンズをがっつり入れたカメラバッグを前に持ち、見るからに普通じゃない恰好で歩いていたので、人々の注目の的です。それでもミャンマー人は目が合うと必ずニコッと笑うのです。あぁ、ステキな国。




Myanmar Yangon Diplomatic School Yangon

Diplomatic School Yangon。それが僕が当時通っていた学校の名前です。その看板は新しく立派になっていました。門は固く閉められ、どうやら中に人はいなさそうでした。そっか、今日はクリスマスイブだ。もう休みにはいっていることに気づきました。

DSYは当時と変わらない建物でそこにありました。この建物の向うに屋根付きの運動場があたけど、今はどうなっているのかな?あそこにあんな落書きがあったよな、自分がいた教室はこの建物の階段を上がっていったところだったよな、そんなことを考えていました。門の前で草取りの作業をしていた男の子たちは、門に張り付いて中を見ている大きなバッグを2つ背負っている日本人を不思議そうに眺めていました。

Myanmar Yangon Diplomatic School Yangon

中に入れなかったのは残念だったけど、学校をみたことで、少し落ち着くことができました。じゃあ、僕が住んでいたアパートはまだあるのかな。そう思い、また歩き出しました。

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