アジア 日記

タイ カンチャナブリ: 日本の教科書には載らない黒い歴史~死の鉄道~

投稿日:2008年5月19日 更新日:

タイ 第2次世界大戦 カンチャナブリ 泰麺 ミャンマー 捕虜

今回の出張の最初の週末である今日、かねてから行きたかったカンチャナブリというバンコクから2時間ほど西へ行ったところにある街へ行きました。

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なぜこの街に非常に来たかったのかというと、第2次世界大戦中、日本軍がビルマへ攻め入る際、軍事品、日用品を輸送するために築いた線路があり、その象徴となるクワイ川をわたる橋があるからです。実は、「戦場に架ける橋」という有名な映画があるみたいですが、僕は一度も見たことはありません。ただ、10年前ミャンマーに住んでいたとき、この泰麺鉄道(日本軍が建築したタイとミャンマーを結ぶ鉄道)について少し読んだことがありました。一度でいいから、訪れてみたい。タイに来る機会が増えるにつれて、その気持ちも膨らんだのです。

”The Death Railway”と呼ばれる黒い歴史

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さて、これがその橋です。通称”The Death Railway”呼ばれるこの鉄道の象徴的な橋です。この橋、この鉄道には重い歴史があり、多くの犠牲の上に築かれ、今もここにたくさんの人の想いを架けている橋です。

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少し、その歴史を書いてみます。

1941年に日本軍が太平洋戦争を開始し、大東亜共栄圏という名の下に、連勝に連勝を重ねアジアで領土を拡大。さらにビルマ、インドへ侵攻するための物資を輸送する目的でこの鉄道を建設することになりました。総長415キロ。この橋は1942年10月から翌年9月まで1年足らずで完成させられました。

その労働者となったのが、戦争捕虜たちです。アジア地域、欧米諸国からかき集められた捕虜達は、休むことなく、たとえ病気になったとしても、倒れ死ぬまで働かされました。その数、20万人以上。その中で、亡くなったのは10万人に上るといわれています。機械というものはなく、すべてが人の手によって建設されたのです。

この橋は一度空襲によって一部破壊されています。そのときにもこんな悲劇がありました。

空襲警報を受けた日本軍は、急遽捕虜達を橋の上に立たせました。捕虜達には「仲間が迎えに来たから手を振ってやれ」と。しかし日本軍の思惑は、「捕虜が橋の上にいれば爆撃はしないだろう」といったものでした。アメリカ軍の飛行機が飛んできたとき、捕虜達は気づきました。必死で自分達は捕虜だということをアピールしました。

しかし、パイロットには任務があります。彼はその任務を遂行するため爆弾を落としました。何百という人間が一度に爆撃され、このクワイ川は数日間その腐敗臭で使い物にならなかったそうです。

黒い歴史を伝えるWorld War II Museum

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上に書いたような戦争という悲劇の歴史は、この橋の脇にあるWorld War II Museumに記されています。日本軍の車、バイク、アメリカ軍の爆弾、そして数多くの写真とともに、その事実を伝えています。

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日本の教科書では知ることのできない歴史。

時代には時代を象徴する出来事があり、出来事がまた時代を形成します。どの時代にも時代を支える人がいて、また時代を象徴するヒーローがいます。彼もまた人であり、時代を懸命に生きる人間です。

歴史を否定することはできず、時代のヒーローを否定することもできず、僕らはこの歴史の上に立ち、生かされ、この時代を懸命に生きている。

そんなループのような思考をめぐらせ、司馬遼太郎ならなんていったかなって考えながら、また今日という一日を知ることのなかった歴史に触れ、一日を生きました。

Jeath戦争博物館

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