子育て 日記

幸せになるために人は生きる。だから親としてこれだけはしたい。

パパデイ

最近、子育てに関することでさまざまな情報が入ってきます。オーガニックな暮らしを実践されているご家族のことや海外での習い事事情から友人の子育ての悩みまで、いろんな話が舞い込んできます。子育てをする、ということは、本当に本当に出口のない暗いトンネルを右往左往しながら歩み続けるようなものだと思います。どこが正しい道なのか、これだという明りにすがりたくなるものです。答えがない。難しいですよね。悩みますよね。

何のために子育てをするのか。それは子どもがいずれ一人の人として生きていくことができるように育てる、それが親の役割だから、と考えます。

「生きる」ということに関して、人それぞれの価値観がありますが、僕自身は「幸せになる」ために人は生きているんだと思っています。「幸せ」の定義は人それぞれですから、それについて深堀することはしませんが、とにかく、人が「幸せだな」という日々を過ごすために生きているんだと思っています。

さて、さっそくディープな内容になってきましたが、これを書くことを決めた今日出会った2つのことについて触れておきます。

一つは、友人の子育て相談を受けたことです。保育園に入れたものの、見学に行った幼稚園の充実した環境に、幼稚園に入れたほうがいいのではないか、と迷いが出てきたというのが相談の始まりでした。それに対して、「なにしたって親次第だよ」とちょっとドライに返答してしまったのですが、「相変わらずブレないね」と言われました。
もう一つは、Facebookで流れてきた「黒子のバスケ」脅迫事件の渡邊博史受刑者の当時の裁判での『最終意見陳述』についての記事でした。

【黒バス脅迫事件】実刑判決が下った渡邊被告のロジカルでドラマチックな『最終意見陳述』があまりにも切ない
http://kamipro.com/blog/?p=16006

この渡邊博史受刑者は、この『最終意見陳述』で、「生きる力」についてとても論理的に、わかりやすく説いています。びっくりしました。

これらのことをきっかけにPCに向かうことになったわけですが、自分の育った境遇を踏まえて、僕の、あくまでも個人的な子育てについての考えを記しておきたいと思います。

 

子育ては、子どもの中に「生きる力」を育ませること


僕が「人は幸せになるために生きている」という根本的な考えをもとに、日々を暮らし、そして子どもと向き合っています。そして、子育てについていつも頭にあるのは、「生きる力」をいかに育むかです。

その中で、以前紹介した天外伺朗さんの”「生きる力」の強い子を育てる”という本に書かれている「バーストラウマ」と「フロー」については片時も忘れることがありません。

天外伺朗さんの”「生きる力」の強い子を育てる”には子育て中のすべての親が理解すべき2つのことが書かれていました。

今回、渡邊博史受刑者の『最終意見陳述』を読んで、まったく同じことを述べていたのでびっくりしたのです。渡邊受刑者は「生きる力」は”根源的な「安心」”という表現で書いています。天外伺朗氏は親は「バーストラウマ」を理解し「無条件の受容」をしなければいけない、と説きます。片や世間を騒がせた事件の犯人、片や日本を代表する企業の元役員です。

僕は、親の最低限の、そして絶対的な役割として、この「根源的な安心」「無条件の受容」を子どもに与えたいのです。それが、僕の子育てについての唯一の指針です。

 

父親との関係が子育てのすべてを決めた


僕がブレずにこの「根源的な安心」「無条件の受容」を子育ての指針にしていることにはわけがあります。それは僕と僕の父親との関係です。

僕は、世間的に経済的に余裕がある家庭で育ちました。生活に困った、ということはありません。そして、小学校では週7日がすべて埋まるほど習い事をしていました。空手、サッカー、水泳などのスポーツから英会話、塾、ピアノなど。今思えばなんて忙しいんだと思いますが、当時はそれが当たり前だと思っていました。

高校時代には、1年間ミャンマーに行くというサバイバルな経験もさせてもらい、さらには大学はアメリカの大学まで行かせてもらいました。そして、辿り着いたのは、トヨタ自動車でした。入社式では、新入社員代表という役を任され、ある意味親孝行ができたと心から思いました。

しかし、日本を代表する企業での生活は3年で壊れました。

そして見つけた道が「木工」だったのです。父親に会社を辞めると告げた時、「お前は世間でいうエリートなんだ!なぜそれを捨てようとする!」とひどく怒鳴られました。

その時、気づいたのです。

あぁ、今まで、親父の顔色ばかり窺ってきたなぁ、って。

子どもの時からそうでした。僕は父がとにかく苦手でした。まったく心が通わない。何も通じ合わない。そう感じていました。そして、それは大人になってからもそうです。今は大分楽にはなりましたが、とにかく父親が苦手で苦手でどうしようもありませんでした。父親という存在がトラウマだったのです。その反面、父親に認められたい(自分の存在を許してもらいたい)と願ってきました。

恵まれた環境で育ち、他にはない経験をさせてもらったことに心から感謝をしているものの、一方で打ち解けることができないことに長年悩んできました。そしてこうも思いました。親父と素直に話ができる関係だったら、どんなに楽しかっただろうか、と。

僕の子育ての出発点はそこにあります。自分の子ども達には、安心して頼れる親でいたい。安心して帰ってこれる家でいたい。そのために、いろんな経験を共有し、いろんな感情を共有したい。

 

結局のところ、と考えてみるといろんなものが不要に思える


嫁との会話で、「結局のところ」という言葉がたまに出ます。どんな習い事をさせたって、保育園・幼稚園をどこに入れたって、結局のところ「親次第」。どんな大企業に勤めていたって、どこでどんなことしてたって、結局のところ元気でいてくれさえすればいい。

「シンガポールでは習い事にすごいお金かけるんだよ。トリインガルは当たり前。4か国語喋れて初めて驚かれるんだよ。日本は遅れている」って教えてくれた人がいますが、人が一人生きていくために4か国語喋れないと生きていけないとは決して思いません。

そういうことももちろん考えていかなくてはいけないことですし、そもそも経済的に不自由な思いをさせないという思いはありますが、根本的なところとして、まずは我が子を全力で愛し、抱きしめてあげたい。そこから安心を覚え、生きる力を育んでいってほしい。

子どもが親からの愛で満たされていると、自然と相手や周りを気遣うようになると思います。何か嫌なことをして、親が悲しめば、自然と子どもにそれが伝わります。僕は下の子の子育てでそれを痛感しました。(その話はまた別で紹介します)

ということで、ちょっと重めな子育ての話でした。
あくまでも、僕個人の考えです。

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