ブルーベリーの花が咲いています。
白くて、小さくて、とてもかわいい可憐な花です。
この小さな花たちを咲かせるために、
ブルーベリーはどれくらいのエネルギーを注ぎ込んでいるんでしょうか。
全身全霊をこの花たちに捧げ、必死に生きようとしている、
そう感じます。
実は、もう一株ブルーベリーがあるのですが、
そちらは、剪定のタイミングが遅く、
すでに蕾を一生懸命に膨らませていたころの3月初旬でした。
でも若い木なので、今は大きく成長させるために、蕾の枝は切り落としました。
ありったけのエネルギーをその蕾たちに注いでいたんだと思います。
そのブルーベリーは、一気に元気がなくなりました。
もしかしたらこいつは枯れてしまうんじゃないか、と思ったりしましたが、
今は必死で葉っぱを出そうと、成長は非常に遅いのですが、
残ったエネルギーを使って、少しずつ少しずつ葉の蕾を膨らませています。
もう1か月以上かかっていますが、必死に生きようとしているのがわかります。
花を咲かせるというのは、
植物にとってはとてつもないエネルギーを費やすもの。
必死で命をつなごうという姿です。
花を見て、キレイ、と人は言います。
そこからさらに踏み込んで、その花の生きる力を感じたいと思います。
道端のたんぽぽでも、心なごませる藤の花でも、雫にひかるアジサイも、
必死に生きている姿がそこにあります。
最近、思うことがあります。
僕らの暮らしは、あまりにも境界線が多くないかということ。
いろんなものを分け過ぎていないかということ。
山や川へ行くのに、あれこれ服やシューズやアイテムそろえて、
さぁ、私はこれから自然へ突入します、といった身構えとか。
うまく表現できないけど、
人間と自然の間に目に見えない、でも確かに存在する境界線。
もっと身近なものであるはず。もっとうまく付き合っていたはず。
そんな思いが最近ふつふつとあります。
おっと、思いがけず、話がそれて、しかも長々書いてしまいました。