なぜ菅原道真は学問の神様として崇められるようになったのか。

2017-01-14 | Posted in 考える

長良天神神社 学問の神様 左義長 こよみのよぶね

さて長良天神神社の左義長に行ってきたわけですが、長良天神神社は学問の神様である「菅原道真公」を祀っています。

そもそもなんで菅原道真公は学問の神様なんでしょうか?高校の時の修学旅行で太宰府天満宮に行ったことはあり、たぶんその時は勉強したでしょうけど、忘れてしまっていたのでちょっと調べてみました。

めちゃんこ優秀で天皇に重用された菅原道真

日本史を勉強すると「菅原道真(すがわらのみちざね)」という人物は必ずどこかで見聞きすることになります。845年~903年なので、今からざっと1200年ほど前の人物です。めちゃんこ優秀で、運の強さもあったようで、まじめにお仕事してたらあれよあれよと昇進し、藤原時平とともに宇多天皇を支える太政官として重用されたそうです。そしてちゃんと国を治めるには、天皇を中心とした中央集権的な統治体制を築くことが重要と説き、さまざまな改革を実施していきます。

藤原時平にはめられて左遷、そして亡くなってしまいます。

その後、宇多天皇が醍醐天皇に譲位し、その時宇多天皇が醍醐天皇に道真も引き続き重用するよう求めたため、藤原時平と菅原道真は続けて天皇を支えていきます。しかし、道真は最終的に右大臣の地位まで上り詰めますが、朝廷の中央集権体制を強く推す道真に対して、権力欲がある藤原時平は良く思っていません。藤原家も実権を握りたい、と思っていたんですね。また大臣への昇格も家の格を越えた破格のものだったため妬みもあり、さらには貴族の中にも自分たちの地位が危ないんじゃないかと心配する人たちも出てきます。ついに藤原時平が中心となり醍醐天皇を言いくるめて、菅原道真を左遷・謹慎処分を下し、またその子供たちも島流しにしてしまいます。

太宰府に左遷された菅原道真はその後2年で、59歳で亡くなってしまいます。

その後、都ではさまざまな異変が発生

長良天神神社 学問の神様 左義長 こよみのよぶね

道真が亡くなってから、京の都ではさまざまな異変が起こり始めます。まず政敵の藤原時平が病死し、道真の左遷の首謀者とされた人物も死亡。今でいう皇太子である東宮が死亡し、さらにその息子も相次いで病死。醍醐天皇も崩御。そして朝廷の建物に雷が落ち、死傷者がでるなど散々な状況に。

これは「道真の祟りだ」と本気で信じられ、これ以上祟られたくないとの思いで、道真の名誉回復にと高い地位を与え、子どもたちの島流しを解きました。

そして雷神様として祀り、北野天満宮を建立し、道真の祟りを鎮めようとします。その後も、さまざまな災害が起こるたびに道真の祟りだといわれました。しかしそれも風化して人々の記憶から薄れていくと、菅原道真が詩人であり、優れた学者であったことから天神様は学問の神様と記憶されるようになった、とのことです。

由来を知ると、より日々の暮らしに意味が出てきますね。

僕たちの周りには知らないことがたくさんです。神様のことを知るだけでも何でもない日常に意味が出てきますね。

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2017-01-14 | Posted in 考えるNo Comments » 

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